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ビルマの息遣い

日緬通信 

ビルマから 広瀬英一郎

1月26日
こちらは、富める者と貧しい者の差が拡大しているようです。

シュエポージュンのポンポンクマラ僧正が、サヤリーの治療費のために寄付してくださいました。これでは、アベコベだとサヤリーが言っています。

サヤリーは、どうしても食事が不規則というか、野菜不足気味だと思います。でも、りんごを食べるようになりました。

今日、千香さんとご主人のクリスさんが、観光船を見せてくれました。ヤンゴンからマンダレーまで、1週間で、一人11000ドルだそうです。サヤリーは、来世に乗りたいと言っています。

明日は、ミーティングです。
しばらくメールをできないかもしれません。

それではまた。



1月27日
今日、ミーティングがありました。
チョーザとピュピュアウン以外は、全員出席しました。
サヤリーは、熱弁をふるいました。

サヤリーは、日本での体験を写真を見せながら、詳しく説明しました。
サヤリーのクリニックを図書館兼学習サロンにしてはどうかということや、今年の生徒数の目標を300人にすることなど、いろいろと4時間にわたって、話し合いました。
皆、サヤリーの久々の講義に、とてもやる気が出たみたいです。
「ボレイシャスリーダーに、そして、真の知識人になれ。」と励ましていました。

昨今の物価高に鑑みて、サラリーを5000チャットずつ上げました。
荒谷さんの募金の掲示板は、クリニックに飾ってあります。
大沼紀子さんの本(真夜中のパン屋さん)をサヤリーは、皆に見せました。

明日から、サヤリーは、ヤンゴン郊外の友人の家で静かな生活を送ることになりました。当分、細々とした雑事から逃れられると思います。

ゲゲにビザの書類を渡しました。
一生に一度のことだから、行ってみたいけど、日本の人達に大きな負担にならないかと心配しています。とりあえず、パスポートがないので申請してビザが取れるかどうか試してみることになりました。

明日からは、ミッチーナへ行きます。薬の準備をしました。危ないところへは行かないので、大丈夫です。ではまた。



2月6日
今日、ミッチーナを離れます。
おかげで、無事帰ることができそうです。

コネクションが悪くて、ネットが使いにくいです。
あまりにもいろいろあって、消化しきれません。

子ども達に、自由に絵を描いてもらいました。
戦火に逃げ惑う人達が詳細に描かれていました。
とても深い傷を受けているようです。

難民キャンプに行こうとしたら、途中で警官に止められて、いろいろ誰何されました。
そして、キャンプ行きを止められました。
とても威圧的な態度でした。
私を送ってくれた若い車の運転手さんは、ひどく怒られていました。
戦闘は、毎日続いています。
子供、老人が傷ついたり、亡くなったりしています。

75歳の老人は、3日歩いてライザという町から逃げてきたそうです。
日本やアメリカなど大国が、平和構築に影響力を行使して欲しいと言っていました。
今、停戦に向けて話し合いが行われているようですが、人々は、全く期待していません。

私が泊まっているYMCAに毎日公安警察が来て、私のことを心配してくれます。もちろん、監視しているのですが。

ヤンゴンに帰ることができるので、正直ホッとしています。
避難民の方々は、筆舌に尽くしがたい困難に直面しています。
平和の有り難みをシミジミ感じています。それではまた。



2月8日
明日、ゲゲとエエミンと新しい教室について話し合います。
生徒一人ひとりについて、この1年間の成長記録をとるように手配しました。

ミッチーナでも、教育大学の先生と話し合いました。
百葉箱について話したら、早速取り入れるよう手配すると言ってみえました。

ゲゲは、今パスポートを申請しています。
今は、比較的簡単に取れるようです。

ヤンゴンは、物価高で、一般の人は、出稼ぎ先を探しています。
ユザナホテルのミョゾウくんも、タイへ出稼ぎに出かけるそうです。

とりとめのない書き方ですみません。
ミッチーナでは、子供のために色鉛筆、画用紙、風船を6箇所のキャンプで配りました。
驚いたことに、大人たちが、無心に風船で遊んでいました。

なかなか国をバランスよく発展させるのは、難しいことだと感じています。

サヤリーは、クリニックを休んで、執筆活動に勤しんでいます。
友人たちは、塾か学校を作ったらどうかと、サヤリーに勧めています。
今日は、大学院生達に数学を教えている先生といろいろ相談をしました。
なんとか良い方向が見つかるとよいのですが。



2月10日
昨日、ゲゲとエエミンと3人で、タマロンという村へ行きました。
電気、水道がない村でした。
子供を失くした40歳くらいの女性が、自宅で10人ほどの子ども達を教えていました。
我々の問題は、良い先生が見つかるかどうかです。
40歳くらいの女性は、良い人なのですが、我々の先生としては、ちょっと合わないのでは、と思いました。
ここは、ミッチーナとは違う問題があります。


 

今日は、朝ミャミャモーの教室に行きます。
午後は、ゲゲとウインエーピュの教室に行きます。
こちらは、皆元気です。



2月14日
こちらは、暑く、しかもいっぺんに車を入れたからでしょうか、渋滞がひどくてまいります。



カチン州で今も戦争は、続いています。

ウインエーピュの子供たちに絵を描いてもらいました。
両親がいない子供たちですが、楽しそうな絵を描いていました。
彼らに比べて、ライザから戦火を逃れてきた子ども達の傷の深さが分かるような気がしました。

ミッチーナでは、“proof of heaven”というアメリカの神経外科医が書いた本を読んでいました。
日々、市民が死んでいく中、たいへん慰められました。
作者である神経外科医が、髄膜炎 に罹り、臨死体験をした話でした。
アメリカでは、よく読まれているみたいです。

ヤンゴンでは、毎日子供に慰められます。
昨日は、ニンモアウンの子ども達が、
帰り際、綺麗な声で、「さようなら。」と言ってくれました。
闇に聞こえる聖歌のように聞こえました。

ビルマからのメール便



 

2013年10月3日 バフー

 

「私の教室について」

ミンガラーバ(こんにちは)

 今、76名の生徒がいます。先月から新しい生徒が4名増えました。先月何人か生徒が辞めました。彼らは、家族や親戚のいる田舎に帰りました。

 また、ある生徒は、公立学校の先生に脅されて、私の教室を辞めました。また、ある生徒は、教室のルールに従わないので辞めさせました。子供たちの親と子供には、私の教室に登録するときに、教室のルールをしっかり説明しています。

大きな問題点は、

  • 長期間勝手に休む子供がいる。

  • 教え方についても悩んでいます。ある子供たちは、勉強に身が入らず、どうやって学力を伸ばしてあげられるかとても難しいです。

例えば、ヤダナヌエさんですが、今6年生なのに1年生の教科書を読んで理解することができません。ですから、彼女の母親と相談して、1週間のうち3日間は、1年生の教科書を教え、後の3日間で6年生の教科書を教えています。

もう一人、どうやって教えたらよいか悩んでいるのは、7年生のテテラインさんです。多分彼女は、知能に障害があると思います。彼女に「分かりましたか」と聞くと、「はい」といつも答えます。でも、実際は、彼女が何を言っているのか理解できません。彼女の文字も判読できません。彼女の母親を呼んで相談しようと思うのですが、母親は、教室へ来てくれません。どうやって、彼女を教えようかといつも悩んでいます。たまに絶望的な気分になりますが、これからも全力で彼女を教えたいとは思っています。日本の皆様からの何か良いアドバイスがいただけたら嬉しいです。

 

パラダイス ​2018年8月

私たちが夢見てきたパラダイスが実現の第一歩を踏み出しました。

2015年から、ミーティングにも参加、寺子屋の子供達の指導などもしてくださったことのあるニーラーチーさんが、ご自身所有の農園4エーカーのうち2エーカーを無償で自由に使って良いと申し出てくださいました。

ライム、バナナ、マンゴー、パイナップル、トディなど南国特有の果物が実っていました。

ここを手入れして実験農場とし、子供達、先生達、そして日本人と皆で働いて、豊かな農場としていく。ひいては、農業学校創設の基とする。このことは、ニーラーさんの夢でもあるそうです。

Warm greetings from Bangui, Iam so happy to see your message. Thank you for thinking of me for mango and pineapple jam, too. I am happy that you were happy in my farmland on the visit. You are always welcome. Yes, it is true that you can use two acres. That two acres can be one block or in different locations in my land. Please consider this according to the plants need such as sun light, water, space, etc. For the exact locations, it would be appreciated if you can discuss with Ko Aye Chan, Thi dar San’s husband so that you can get the best areas to plant. You can even use our building for your visits too. I am planning to maintain it properly. I will be in Myanmar from 05-22 September. It will be very nice if you can plant some fruit and vegetable in November. I am not quite sure to come back in November. Next time, I will plan my trip to meet you in Myanmar properly. It's my dream to help togethers with all of you, kids,teachers, Japanese friends at your garden. Please do take care of yourself and we love you so much!

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ヘッディング 5
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